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 広島平和記念資料館C
 鉄谷信男さんの長男の伸一ちゃん(当時3才)は、東白島町の自宅前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆しました。全身に火傷を負い、「水、水……」とうめきながらその夜亡くなりました。
 亡くなった市立中学校2年生の福岡肇さん(当時14歳)の学生服です。
 「熱で曲がった眼鏡」
 「人影の石」
 「原爆の熱線により表面が焼けただれている石仏の頭部」
 「黒いツメ」
 「変形したガラス瓶」「土などが付着したアワビ形の鉢」
 「溶けた瓦のかたまり」
 「黒い雨あとが残った白壁」
 大手町の自宅で被爆した山下博子さんは、壊れた家の下敷になりました。弟の祐策くん(当時6歳)とともに瓦礫の下からはいだし、裸足のまま火の手の上がる街から郊外へと逃げました。

博子さんは、両手、両肩、両足にひどいけがを負っていました。一見元気だった祐策くんも、21日に倒れ、髪の毛が抜ぬけ落ち、高熱が出た後、鼻から大量に出血して24日に亡くなりました。
博子さんの髪の毛も、祐策くんと同じ21日に、一気に抜け落ち、病状が悪化しましたが一命を取りとめました。

これは、懸命に看病していた母親の恭さん(当時46歳)が、万が一を思って、娘の形見のつもりにと大事にとっておいたものです。
【No.9】
データ 2013年

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